昔の弁論日記

こんにちは!

今日は小論文模試だったのですが、
仮定という漢字をど忘れしたITSuKiです。

今変換して気づきましたが、
普通に間違ってました。

さて、小論文を書いたわけです。
お題は「情報化社会について」
というもので書きました。

小論文を書くのが得意な俺は余裕でした。
ノープロブレムですね。

文という繋がりと今日は特に何もなかったので
中学生3年の時に書いた弁論文を載せます。

「大人について」

うんちょこ中学3年 ITSuKi

皆さんは大人のことを
嫌いだと思ったことはありませんか?
僕はだいっ嫌いです。

なぜかというと、大人はとにかく自分の意見をムリヤリ通そうとし、通らなかったらムシャクシャするし、勉強をしなさいとウルサイいからです。

よく僕の親は今のうちに勉強しておかないといい会社に入れないと言いますが、いい会社というのは高額収入のある会社のことを言っているのだと思います。

しかし、勉強して大学を出てもなかなか働くことのできない人が多いので、はっきり言ってまったく説得力のない理由だと思います。
勉強させたいのはわかりますが、いちいちウルサイのは逆にやる気がなくなるんです。
しかもその理由が今のうちに勉強しておかないといい会社に入れないという理由だと、説得力のない物なのでやる気が出ません。

しかしよく考えてみると大人という存在が何なのかわかりません。それなのに文句がたくさん出てくるので訳わかりません。
よく、二十歳をこえると大人といいますが、ホントにそれだけでしょうか?
それなら、どんなにガキみたいなヤツでも二十歳をこえると大人とみなされるのでしょうか?
心の面でも、大人になれとは要するにどうなればいいんでしょうか?
もっと疑問はたくさんありますが、ただ一つだけわかっていることがあります。
それは大人になると純粋ではなくなってしまうことです。

生前のマイケル・ジャクソンは子供が好きでした。
自分の家にピーターパンに出てくる子供の国のネバーランドと同じ名前の遊園地をつくり、子供を招いて一緒に遊ぶくらい好きでした。
マイケル・ジャクソンが子供を好きな理由は純粋な心を持っているからという理由だそうです。
その考えにはとても共感できました。
確かに子供はすごく純粋です。
嫌なことがあると大声で泣き叫んでイヤダと言い、うれしいことがあると見ていてこっちもニヤけてしまうような笑顔でうれしいことを表します。

しかし、大人はそんなことしません。ドラマなどでよく見るイヤな大人は自分の仕事でのミスを自分ではなく違う人はやっているように見せたり、
自分の立場を利用して、自分よりも立場が下の人にやりたくないことを押し付けたりするものです。
実際にそういうことがあるからドラマになるのだと思います。
他にもまだあると思いますが、大人でも子供ほどではありませんが純粋な人が少ないですがいると思います。
いるのはわかっていますが、絶対に純粋じゃない人のほうが多いと思います。

だから子供に嫌われるのだと思います。
純粋だからこそ、大人にも純粋になってもらいたいと思います。

僕はこの弁論文を書いたことによって、大人は自分の意見をムリヤリ通そうとするし、うるさいし、純粋ではないことがわかりました。

僕もこれから成長して大人というものになっていくのだと思いますが、
僕はこの弁論に書いたような大人ではなく、勉強はさせたいがあまりウルサくせず、
自分の意見もムリヤリ通そうといないで純粋な大人になれるようにしたいと思います。
皆さんも自分がキライだと思う大人ではなく、
理想の大人になれるようにしましょう。


なんと幼稚な弁論なんでしょう。
中学3年生の時の俺がどのくらいひねくれていたかがわかりますね。
あと、所々日本語がおかしいのも気になります。
この頃、大人に対する抵抗がとても強かった時です。
いわゆる反抗期です。

今の俺は両親を本当に尊敬しています。
弁論に書いてある、いい会社についてなんですが、
今では音楽の専門学校を許してくれています。
本当にありがたいです。

実はまだ弁論で
諦めてないところがあるんです。

それは、
子供のような純粋な心を持ち続ける理想の大人になる事です。

これだけは諦め切れません。

実現させたいと思います!

では、また明日